40体の恵比須さんに出会えます
明治31 年に「高橋」傍に創業した老舗の和菓子店です。屋号にある「高橋餅」は搗き立ての餅に餡を包んだほどよい甘さの広がる逸品です。 |
長崎へ通じる長崎街道は、佐賀藩の城下町を通っていました。八戸町から長瀬町にかけての道は上から見るとのこぎりの歯のようにジクザクになっています。これは戦のときに家屋のカギ形の部分に隠れ、外敵を防ぐような家並みに建てられたと言われています。 |
佐賀藩は、江戸時代初期から外国船に対する長崎警備を担当しており、嘉永3年(1850)頃に長崎港外(外海そとめ)の防御の重要性を幕府に建議しました。長崎警備の強化に大砲が必要となり、鉄製大砲の鋳造をするために築造されたのが築地反射炉です。 |
穀物座、縫工座、煙硝座、木工座、金銀座、鉄砲座の六つの座で構成されたところから名のついた六座町。この町の守護神が北面天満宮です。棟門には水神の河童の木像が掲げられています。昔、川で子どもがおぼれているのをこの河童が助けたという言い伝えがあります。それ以来、河童は棟門の上から番をしており、川に落ちる子どもがいなくなったと言われています。 |
全国で唯一伊勢神宮の分霊を勧請できた神社です。入口にある肥前鳥居は1607年に造立されたもので、境内にはユーモアあふれる一対の石造肥前狛犬があります。 |
鍋島直大公が、国家のため身をささげた藩士の忠節に報いようと、明治元年に建てたものです。当時このような招魂社は、東京、秋田、京都、佐賀の4か所にのみありました。 |
建久年間(1190年~1199年)に鶴岡八幡宮から勧請された佐賀開府の鎮守の神です。慶長9年(1604年)佐賀城内から現在地に遷座されました。境内には「楠神社」があり、その傍らには「義祭同盟」や「非理法権天」の碑も建立されており、佐賀市の歴史が感じられる神社です。 |
元禄14年に鍋島綱茂が江戸の鳥森大名神から勧請された神社です。綱茂公が嫡男誕生を祈願したところ嫡男を得られたことにより佐賀に勧請したのが始まりと伝えられています。 |
文化3年(1806年)に創業した佐賀の老舗デパートです。 |